大西弘矩のコラムです。

心の無駄遣い

カテゴリー: blog — onishi @ 12:20 am

今日は私なりになぜ不足心が生まれるのか考えてみました。
日常生活の中で、「人の不足を言うな」ということがよく言われます。

ところが実はこの前に、もっと大事なことがあるのです。

それは、「不足を思うな」ということです。

人の不足というのは、ただ単に顔や態度、言葉などに出したり言ったりしなければよいというものではなく、“不足を思う”こと不足心自体がいけないと思います。
その訳を一口で言えば、“心の無駄遣い”。人は自分一人だけでは生きられません。

家族をはじめさまざまな人と関わり合いつつ生きているのですが、そこでは人それぞれの独自の自己表現が展開されています。

“人は人、自分は自分”。自分以外の人の表現に対して不足の思いを持ってもよいという理屈は成り立たない。

つまり、自分の表現が尊ばれねばならないのと同じように、人の表現もまた尊ばねばならない。もし人の表現が気に入らない、

自分にとって都合がよくないからと、不足心で暮らすのでは、自他を祝福する自己表現とは程遠い生活になってしまうでしょう。

では“不足心”はなぜ起きるのでしょうか。いろいろなことが考えられますが、

一つには、人の表現が自分の気に入ることばかりとは限らず、ときには邪魔だったり、都合が悪かったり不利だったりすることがあります。

そのために、他の人のあり方を否定して、なんとか自分に都合のよいようなあり方にならせようとする。

それが都合よくそうならなかったり、自分の思う通りに動いてくれないことに対して、不足心が起きてきます。

言い換えれば、人の表現を否定して自分の意のままになってほしいという“要求する心”から起きてくるのです。
次には、他の人の表現がいかにも下手でとても黙って見ておれない、聞いておれないと思う気持ちから、不足心が起きてきます。

これは、言い換えれば“偉そうな心”ということになります。自分の考え方や仕方がベストだと思い込む余り、

その他の考えや仕方があることに気持ちが回らず、頼まれもしないのに差し出口を利いたり、立ち入り過ぎになる。

それを人が無視したり、応じてくれなかったりすると、たちまち不足に思ってしまうのです。
さらには、不足心というのは、自分の仕方や考え方について、人から干渉されたり批評されることを“嫌う心”から起きてきます。

自分の考えや仕方がベストだと思い上がってそれにとらわれ、強情を張る。自分のあり方に対して何かを言うことを許さず、

もし言おうものなら(耳にしようものなら)たちまちそれを言った人を排除、排斥するというところから、不足の思いがますます強くなっていくのです。
人はだれでも、今よりももっと自由に、もっと心豊かに、もっと心身ともに健康で、自他を祝福する美しい自己表現ができるはずなのです。

それがままならないのが現実だとすると、その原因の多くはこのような不足心にあるのですから、お互いに気をつけたいものです。
もともと人の表現というのは、一つだけと決まったものではなく、その時その場で変化しています。

したがって、もし不足の思いが起きそうなことに直面したら、

「待て待て、ここは何か自分の言い方や仕方に足りないところがあるのでは」とか「何か別の方法やアイデアがあるに違いない」と思って、不足心が起きないように創意工夫してみましょう。
そう心掛けて自分の気持ちをコントロールできれば、きっと英知が授かり、心身の調子もよくなるばかりか、家族をはじめとして周囲の人々との明るく、楽しく、美しい生活が展開されていくことでしょう。

コメントはまだありません

コメントはまだありません。

このコメント欄の RSS フィード トラックバック URL

コメントフォームは現在閉鎖中です。